迷人の雑言(平成25年分)

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7月分( 「 社会主義的日本社会 」  )
25-07-01

 「日本の社会構造は社会主義社会に近い。」
 とよく言われますが、まさにそんな感じがします。

 「アベノミクス」とか言って政府がいろいろ笛を吹いていますが、社会はそれに乗っかってな
かなか踊り出しません。
 経団連の会長とかいうあの「田舎もん」臭いおっさんは
 「政府が・・・、政府が・・・・。」
 とか言って、何でも政府のせいにして、「自分たち企業人は何をして頑張る」みたいなことは
一切言いません。
 一般国民も、選挙の際に政策への関心事を問うと常に「景気対策」と答えます。
 バカの一つ覚えみたいに。

 政府の成長戦略会議でも、農業の株式会社化には農協が反対して、結局つぶれてしまった
ということです。
 農協はTPPにも反対しています。
 貿易自由化により農業が壊滅するからと言うのがその反対理由ですが、TPPに参加しよう
がしまいが、今のままの農業ではいずれ壊滅してしまいます。

 先だって
 「円安で燃料費が上がっているので、燃料費支援をしてほしい。」
 と漁協から政府への要請があったそうです。
 それなら、その前の超円高の時はどうしていたんでしょうね。
 都合がいい時は知らんぶりですか?
 一般の企業などは、いくら円高や円安で苦しくても政府にそんなことは言えません。

 政府からの補助金や規制に守られた組織は社会主義組織が衰退・崩壊したのと同じよう
に、いずれ同じ衰退の道をたどります。
 要は、自助努力を行なおうとしないからです。

 沖縄も北海道も、原発の町も、農協も漁協も・・・。
 補助金や規制に頼っている限りは、衰退の一途をたどることでしょう。
 そこにこそ、社会主義的日本の悪しき風土が見てとれます。
    

6月分( 「 憲法96条の改正? 」  )
25-06-01

 このところ、憲法改正の話題がテレビでも盛んに取り上げられています。
 その中で「96条の(先行)改正」といった議論がされています。
 現在、憲法改正の発議は衆参両院で2/3以上の議員の賛成が必要ということになってい
ますが、これを1/2以上ということにして憲法改正の発議をやりやすくするというものです。

 この論拠は
 「発議のハードルを低くしても、いずれ国民投票にかけるのだから問題ない。」
 いう発想からきているようです。

 でも私はこの「96条改正」には反対です。
 憲法改正には何が何でも反対という党や人がいますが、私は憲法改正に反対なわけではあ
りません。
 時代とともに常により良い憲法にどんどん改正していくべきだと思っています。
 9条を改正して国軍を持つことにも賛成です。
 それでも・・・。「96条改正」には反対です。

 なぜ反対なのか・・・。
 それは国民投票が信頼できないからです。
 憲法改正の問題を正しく認識して国民投票で一票を投じる人がどれだけいるでしょう。
 せいぜい1割か2割でしょう。
 あとの8〜9割は特に深く考えることなく、あるいは誰かの意見に流されて投票してしまうこと
になるでしょう。
 「おまかせ民主主義」の国民に憲法改正の是非を問うのには無理があります。
 裁判官の国民審査のように形骸化した投票になってしまうことでしょう。

 従って、憲法改正は発議された時点で成立したようなものと考えるのが妥当です。
 だからこそ、選良である議員さんたちに十分意見を戦わせてもらい、2/3という高いハード
ルでもって発議してもらう必要があると思っています。

 今度の参議院議員選挙では「憲法改正が争点」だとマスコミは言いますが、そんなことには
絶対にならないと思います。
 ほとんどの人が興味がないわけですから。
    

5月分( 「 貧弱な論戦 」  )
25-05-01

 国会の論戦や動きを見ていると、がっかりします。
 特に民主党に対してです。

 0増5減の選挙制度改革で反対したりしています。
 どうも定数削減と混同してぐちゃぐちゃの論理を展開しているようにも見えます。
 今回の焦点は「区割り法案」です。
 0増5減の法案は既に民主党政権で可決されているのです。
 「区割り法案」をさっさと成立させて、次の抜本的選挙制度改革・定数削減を議論すべきなの
ですが、そんな熱意は全く見受けられません。

 政権交代可能な2大政党制を目指して「小選挙区・比例代表並立制」という選挙制度を作っ
てきたのですが、今の民主党を見ていると、とても2大政党の一翼を担えるようには思えませ
んし、国民も期待しなくなってきています。

 もともと、中国人に民主主義がなじまないのと同様に、お上意識の強い日本人にも民主主義
はなじまないと思っています。
 そんな日本には2大政党制なんて定着するはずもありません。
 結局その時の風に流されて、ネジレ現象を引き起こして政治を混乱させてしまいます。

 一党独裁&万年野党といった、昔の自民等と社会党のような関係が日本人には一番合って
いるのかもしれません。
 従って、選挙制度は抜本的に変えた方が良いと思います。
 昔の中選挙区制に戻すとか。

 そういった選挙制度の抜本改革に比較したら、定数削減というのは実に小さな問題でしかあ
りません。
 「消費税率を上げるなら、議員も身を切る姿勢を見せないと・・・。」
 ということで定数削減の議論がクローズアップされますが、それこそ本末転倒な議論だという
ことを、国民自身も理解すべきだと思います。
    

4月分( 「 中国人は・・・ 」  )
25-04-01

 先ごろ、中国のあるお店で
 「ベトナム人と日本人と犬はお断り」
 という看板が立てられたそうです。

 もちろん、日本人がそのお店に危害を加えたり、被害を与えたりすることはないと思いますか
ら、尖閣をめぐる感情的な行動なんだと思います。

 一方で、日本の我が地域で見てみると、中国人から被害を受けている人がいっぱいいます。
 我らの地域には「研修生」という名目で出稼ぎに来ている中国人がいっぱいいます。
 その中国人が野菜を大量に盗んでいったりするので、いろんな人が迷惑をしています。

 一部の中国人がそういったことをしているわけではありません。
 いろんな地域で話を聞いてみても、みんなが同様の被害を訴えています。
 倫理観もなく、犯罪意識もなく、自己中心的なのは、要は国民性なのです。

 「中国人と猿はお断り」
 という看板を立てたいくらいです。
 近所のお百姓さんは、被害にたまりかねて次のような看板を掲げています。


 それでもまだ抑制的ですよね。
 国民性の違いです。

 商工会も研修生をベトナム人に切り替えようとしているようですが、一日も早く中国人のいな
い地域にしてほしいものです。
    

3月分( 「 閉社会や閉組織 」  )
25-03-01

 女子柔道界での体罰・パワハラ問題がワイドショーをにぎわかしました。
 その前には高校でのいじめや体罰問題がありました。
 もうちょっと前には相撲界。

 事件発覚後、学校、教育委員会、柔道連盟などの当事者の対応は、判を突いたように同じ
で、目を覆いたくなるようなお粗末さを感じます。
 多分、当事者は事の異常さ、重大さをわかっていないからだと思います。
 更には、事の本質がわかっていないからだと思います。
 従って、できるだけ事実を小さく、影響を小さく、当事者の責任を小さくしようという行動に走
ります。
 そして、「改善・改革」と言いながら、局所対応・部分対応だけで済まそうとします。

 もぐらたたきのように現れるいろんな組織・団体での不祥事。
 これらの問題の本質的な原因は皆同じです。
 「閉社会、閉組織ゆえの非常識や腐敗」
 と言う事ができます。

 閉社会や閉組織になれば、その世界の中ではだんだんと世間からかけ離れた常識が一人
歩きします。
 やがてその社会や組織は腐敗して行きます。
 王子製紙だって、同族会社なるがゆえに腐敗しました。
 この動きは個人では防ぎようがありません。

 学校にしろ、スポーツ界にしろ、問題解決の根本的手段は、その社会や組織をオープンにす
ることです。
 オープンにするということは、外からの目が届くようにするということです。

 一般の会社で社外取締役を置くというのはもはや常識です。
 また、一般の会社では、経理などの部署の人は数年で移動するようになっていて、不正が起
こらないようにしています。
 何十年も同じ経理担当に任せていたという会社や組織では、横領が起こったりしています。
 その会社または組織の責任者はバカとしか言いようがありません。

 相撲界も外部理事を取り入れました。
 国鉄や電電公社や郵政も民営化してかなりオープンになりました。
 役所は情報公開という手段でささやかながらオープン化をしようとしています。

 では学校関係はどうでしょう。
 体罰を起こした教師は、15年間も同じ学校にいたそうです。
 教師はある程度の年数で学校を移動させるということになっているとのことですが、そのもっ
とも重要なことがないがしろにされていたのです。
 要は教育委員会が物事の本質を理解していないからだと思います。
 本来、教育委員会というのは第3者委員会のようなもののはずです。
 ところが、学校と教育委員会は同じ閉社会の中にいます。
 これでは改革などできるわけがありません。
 学校関係の改革は、教育委員会を含めて、いかにオープンにするかにかかっています。

 柔道界も同じです。
 選手が言った「監督だけ変えても・・・」というのは本質をついています。
 「女性監督にしては・・・」という意見もありますが、それも本質ではありません。
 柔道とは関係ない人たちの目が入るような組織にしない限り、何も変わらないと思います。
    

2月分( 「 命の重さについて 」  )
25-02-01

 今月は人の命の重さについて考えさせられることが3つありました。

 一つ目はアルジェリアの人質問題。

 「人の命は地球よりも重い。」
 この言葉は1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行グループが
高額の身代金と日本で服役中の過激派や爆弾魔などを解放するよう要求した時に、時の福田
赳夫首相が言ったものです。
 そして過激派の要求通り囚人を釈放することで、日本人の人質を解放しました。
 これには賛否両論がありました。

 今回は日本政府は交渉する立場になく、判断はアルジェリア政府にまかされました。
 アルジェリア政府は、人質に危害が及ぶことも覚悟の上で、過激派の掃討を行ったと思われ
ます。
 人質の命よりは、プラントを守ることと、過激派を殲滅することに重点が置かれたのでしょう。
 要はアルジェリア政府にとって、人質の命はそれほど重くなかったということです。

 二つ目は愛知県で起こった資産家夫婦とその母親殺しの問題。

 犯行を行ったのは資産家夫婦の娘で、その後自殺しています。
 なぜ犯行に至ったのか?
 この娘は東北の地震で飼い主がいなくなった犬を引き取って育てたり、里親を探したりする
ホランティア組織のリーダーだったそうですが、そのボランティア組織を続けていくための資金
ぐりが苦しくなり、資産家夫婦の会社の金を流用していたようで、その発覚を恐れての殺害だ
ったと思われます。

 この場合娘にとっては、両親や祖母の命それに自身の命よりも犬の命の方が重かったという
ことです。

 三つ目は大阪桜宮高校生徒の体罰による自殺問題。

 橋下市長は
 「人が一人亡くなっているのに、何も改善されないまま入試を行うなんて、大阪の恥だ。」
 とか
 「顧問の先生を全員入れ替えろ。」
 といったある意味極端な表現で教育委員会などに改革を迫りました。
 自殺した生徒の命が重いと思ったからでしょう。

 これに対して、入試の中止や顧問の入れ替えについて、桜宮高校の在校生徒も保護者も一
斉に立ち上がって大反対の声をあげています。
 体罰禁止や学校改革ということで大きな声をあげているわけではありません。
 要は、自殺した生徒以外は「今のままでいい。」ということのようです。
 そこには、自殺した生徒の命の重みをおもんぱかるような姿は、微塵も感じられません。

 これらのことから言えることは、人の命の重さというものに普遍的な価値はなく、誰かの都合
で重くもなったり軽くもなったりするということです。
 時には犬の命よりも軽いということになります。
 あるいはそれ以下かもしれません。

 なんとも嫌な気分になりました。
    

1月分( 「 選挙も終わって・・・ 」  )
25-01-01

 衆議院議員選挙が行われました。
 事前の予想通りの自民党の圧勝ということになりました。
 とはいえ、評論家の評価もそうですが、自民党が圧勝したというようり、民主党がボロ負けし
たというのが正しいのではないでしょうか。

 第3極も期待外れでした。
 結局第3極への風は吹きませんでした。
 日本維新の会に対する期待がしぼんでしまったからでしょう。

 もっとも風にたよる選挙には危ういものがあります。
 そういう怖さを選挙民も感じていたのかもしれません。
 そういう思いを抱かせたのも民主党への絶望があるからでしょう。

 いずれにしても民主党はひどすぎました。
 力がないくせに、意見の違う人たちを排除することだけに血道をあげました。
 あげくに分裂し、結局は崩壊してしまいました。
 残ったのは前原「言うだけ番長」のような政治のできない政治家ばかり。

 野田さんは純化路線とかで、お友達政党を作ろうと、負けを覚悟で選挙に臨んだはずです
が、いざ結果が出てみると
 「痛恨の極みで責任を感じている。」
 みないな発言をして代表を辞任してしまいました。
 意味がわかりません。
 「これでさっぱりしました。心機一転代表を続けます。」
 と言うべきなのではないでしょうか。

 政治家や政党というのは、地道に活動をし、地道に政策を練っていく普段の努力をしてもら
いたいものです。
 選挙が近づいてから選挙目当ての公約を練るなんてことにならないようにしてもらいたいも
のです。
 そういう意味では、今回の選挙で自民党に政権が託されたということは、国民の地味な選択
であったということも言えます。

 ともかく安部政権には、地道に成果を出していってもらいたいと思います。
 「安部さんなら経済を何とかしてくれるかもしれない。」
 「安部さんならコケにされている中国や韓国に一発かましてくれるかもしれない。」
 そんな漠然とした期待を持った人が多いかと思います。

 ただ、早速韓国に対する姿勢は腰砕けです。
 「竹島の日」の式典を政府主体で行うと言っていたのを取り止めてしまいました。
 しかも特使を送ったりするんだとか。
 竹島の件はもともと韓国側が紛争をしかけてきた問題です。
 それなのになんで日本側が下でに出なきゃいけないんでしょうか。
 韓国側は常に「歴史認識」ということを日本側に求めますが、竹島については日本側も韓国
側に「歴史認識」について求めたらどうなんでしょうか、

 韓国に対してこんな軟弱な対応をしていたら、中国に対してはどうなってしまうんでしょうか。
 もともと尖閣の件は日本側がしかけたわけですから。
    

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