迷人の雑言(平成24年分)

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12月分( 「 進歩のないマスコミ 」  )
24-12-01

 すったもんだありましたが、衆議院が解散されました。
 各党既に選挙モードです。
 第3極がどうのこうのと毎日テレビが騒がしくなってきました。

 しかしながら、テレビを見ているとマスコミというのは全く進歩がありませんね。
 あいも変わらずどうでもいいことを誇大化して、面白おかしくはやし立てています。
 今度の選挙の争点は、「原発」、「TPP」、「消費税」だと言って、各党の主張などを比較説明
したりしています。
 「誰がその争点を決めたんじゃ!」
 と突っ込みたくなります。
 大事なのはそんなことではありません。

 そのうちだんだんワイドショー化してきて、話題がもっと小さく下劣になって行きます。
 「橋下さんが候補者をジャンケンで決めればいいと言った。」
 とかを大きく取り上げて
 「候補者をジャンケンで決めるなんてけしからん。」
 みたいな論調ではやし立てる。
 得票同数だったらくじ引きで当選者を決めるルールがあったりするのに。

 各党の言うこともだんだん小さく下劣になって行きます。
 民主党は
 「議員の世襲はけしからん。」
 とか言っています。
 それこそどうでもいい話で、選挙民が判断すればいい話です。
 世襲議員しか当選して来ない地域は、その議員が立派か選挙民が愚劣かどちらかです。

 みんなで小さく下劣な議論を盛り上げておいて、やがて投票日に突入します。
 マスコミからそういった情報を大量に刷り込まれて、選挙民も引き込まれて行きます。
 そしてどうでもいい基順で投票してしまいます。

 昔、テレビが普及した時
 「これで庶民は一億総”白痴”化する。」
 と言われたものです。
 まさにそれがこの時期現実化してしまいます。

 残念ながら、政治の未来には希望が持てません。
 でもそれは、結局選挙民の責任でしかありません。
 テレビの情報に惑わされることなく、各選挙民が自身の考えをきちんと持って、政党とか候
補者を見極めて投票するかどうかにかかっています。
    

11月分( 「 政党には理念が重要 」  )
24-11-01

 石原東京都知事が知事を辞めて新党を作ることになったようです。
 「たちあがれ日本」を土台にした新党だそうですが、新味はあまり感じられません。
 この新党が旋風を起こすかどうかわかりませんが、でも私は石原さんに期待をしています。

 新党を立ち上げることを発表し、「たちあがれ日本」の政治家と会談した石原さんが
 「政策の違いのある政党と連携・連合はできないとか、まあ国会議員というのは小さなことを
ゴチャゴチャ言う。」
 と嘆いていましたが、まさにそう思います。

 石原さんが
 「原発をどうするとか消費税がどうだとかは小さな問題だ!」
 と言ったことに対して批判も起きていますが、これも過敏に反応し過ぎだと思います。

 以前にも書きましたが、政党や政治家にとって重要なのは「理念」であって「政策」ではありま
せん。
 「理念」はあまり変わりませんが、政策はその時代や環境によって変わります。
 その「理念」をもとにその時々の政策を実行するのが「政治」です。
 ましてや、「早期に解散せよ!」と言うのは「理念」でも「政策」でもなく単なる「政争」です。

 政策に掲げていなかった消費税増税を民主党が行ったのはけしからんといっても、それは単
に政策を変えただけのことです。

 私はマニフェストというのに興味がありません。
 マニフェストというのは「政策」の集合体だからです。
 「理念」が語られ、その具体的一例として「政策」があるわけで、政策だけ語られてもその評
価を行うことができません。

 「理念」は「憲法」で「政策」は「法律」と思った方が良いでしょう。
 その憲法を改正すると言っている石原さんの「理念」をみんながどう評価するかです。
 「理念」を「政策」として推し進めるには強力なリーダーシップが必要です。
 石原さんにはそのリーダーシップがあります。
 橋下さんもリーダーシップがありますが、市長を続けると言っている限り、国会でのリーダー
シップは発揮できません。
 総理大臣になれないわけですから。

 ということで当面私は石原さんに期待をしています。
 石原さんがんばれ!
      

10月分( 「 野蛮な中国人 」  )
24-10-01

 尖閣問題で中国が荒れました。
 「暴動」に「打ち壊し」に「略奪」とやりたい放題です。
 中国当局が見て見ぬふりというか、むしろ扇動した様子も見うけられます。

 以前から思っていることですが、中国人というのは「野蛮」で「下劣」な人種ですね。
 石原東京都知事が言っていました。
 「中国人は「オレのものはオレのもの、オマエのものもオレのもの」という発想だ。」
 まさにその通りです。

 そんな中国人が「愛国無罪」ということを言います。
 「愛国のためなら何をしてもいい。」
 ということで日本人や日本関連施設を襲撃しています。
 まさに野蛮な思想です。

 究極の「愛国無罪」は戦争です。
 戦争というのは敵国の人を殺しても問題にはなりません。

 その「愛国無罪」を唱える野蛮な中国人が、日本の侵略戦争がどうのこうの、南京虐殺がど
うのこうのといった主張を際限なく繰り返しています。
 これは論理矛盾にほかなりません。
 このへんにも下劣さを感じます。

 こういう相手と付き合っていくのは大変です。
 最悪戦争まで覚悟をしながら、外交交渉を行う地道でしたたかな対応が要求されます。
 オスプレイがどうのこうのといって弱みを見せている場合ではありません。

 そんな中、今日本で一番「エラそうな」顔をしているのは「仲井真沖縄県知事」です。
 政府の言うことやることには全て反対し、あげくのはてには防衛大臣の訪問を拒否する。
 そんな言いたい放題、やりたい放題でも補助金だけはしっかりと要求し確保する。
 まるで中国人のようなやり口。
 尖閣問題で石原東京都知事がいろいろ動いていても我関せず。
 尖閣諸島が沖縄県に属していて、そこに中国が干渉してきているということに、何の関心も
ないのかもしれません。
 中国は沖縄本島も「オレのものだ」と言いだしているというのに。
    

9月分( 「 嫌いな出演者 」  )
24-09-01

 夏場になると、なぜか24時間テレビとか27時間テレビとかが行われます。
 そしてなぜかマラソンを行います。
 それなりにテーマをもってやっているんでしょうが、私から見ると製作側の自己満足でやって
いる番組としか思えません。
 定時番組を飛ばされるので、こちらにとってはいい迷惑です。

 こういう番組を私は一切見ません。
 テレビ局側には番組を作って流す権利はあるんでしょうが、視聴者としては見ない権利もあ
ります。

 こういう製作側に疑問を持って見ない番組もありますが、番組そのものではなく、出演者に
嫌悪感を持って見ない番組もあります。
 それがけっこう多いので困ります。
 そして、その嫌悪感を持つ出演者は女性ばかりです。
 なぜなんでしょうか。
 女性蔑視の意識があるからなんでしょうか。
 そんなつもりはないんですが。

 で、その出てきたらチャンネルを変えてしまう出演者というのは
  1位. 田島陽子
  2位. 小池百合子
  3位. 片山さつき
  4位. 大竹しのぶ
  5位. IMALU
  6位. 東尾理子
  7位. 麻木久仁子
 ダントツ1位は田島陽子さんですが、とにかく論理がめちゃくちゃなので、見ていて腹が立っ
てとても見続けられません。
 下位に行くほどイメージ的なものが多いかもしれません。
 とにかく不純・不潔感を感じます。
    

8月分( 「 村社会 」  )
24-08-01

 閉鎖的な世界や組織を「村社会」と言うことがあります。
 もちろん悪い意味でです。

 「原始力村」と「教育村」。
 最近話題になっているこの2つの村にはいろんな共通点があります。
 代表的なものを二つ。
 一つは、閉社会なので一般社会の常識が通じないということです。
 もう一つは、「隠す」、「ごまかす」、「うやむやにする」という思考と行動です。

 今後の原子力政策に関する意見聴取会が開かれた場に電力会社の社員が出席して意見表
明をしていました。、
 東北電力の幹部が
 「東北電力の考え方を述べる・・・。」
 といって意見表明をしました。
 中部電力の社員が
 「福島の原発事故では一人も死んでいないのだから安全なんだ・・・。」
 みたいなことを表明していました。
 途中から政府として、電力会社の社員には意見表明させないことにしましたが、こんなことが
堂々とまかり通ること自体、政府から電力会社まで「原子力村」の中の人たちはもはや狂って
いるとしか言いようがありません。
 
 原発のある場所に「活断層」があるのではないかという指摘に対して、電力会社に調査させ
るんだそうです。
 電力会社に指示したって、ちゃんとした調査が行われるわけがありませんよね。
 今までもごまかしてきたわけですから。
 そんな茶番が堂々と行われる。
 もう救いようがありませんよね。

 「教育村」は原子力村」よりはマシかもしれませんが、かなりの閉社会です。
 大津市の皇子山中学のイジメ自殺事件についても学校・教育委員会側は
 「イジメは無かった」→「イジメはあったが自殺との関連はわからない」→「イジメが自殺の一
因かもしれない」と変遷しています。
 それでもイジメが自殺の主要因だったとは認めていません。
 それどころか、「家庭に問題があったかもしれない。」と教育長は言っています。
 あれだけたくさんのアンケート結果がありながらろくに調査もせず、何の根拠もない家庭の
問題を持ち出すという暴言。
 死者にムチ打つようは発言をする神経がわかりません。
 あれだけのアンケート結果を見れば、イジメが自殺の主要因だったであろうことは、一般人
の常識からすれば明らかだと思います。

 加害者の主犯格とされる少年Aの母親は当時PTAの会長だったそうです。
 ほかにも大津市の婦人団体の役員をやっていたそうです。
 同じく、少年Bの母親もPTAの役員だったそうです。
 学校としては、加害少年側と戦う意思はなかったのではないでしょうか。
 加害少年側はいわば村社会の一員だったわけで、村社会の秩序を守ることが優先され、被
害少年側は切り捨てられていったのではないでしょうか。
 加害少年AとBは被害少年と同じクラスだったそうです。(加害少年Cは別のクラス)
 そして二人とも今は京都の学校に転校しているそうです。
 仲間である加害者側を守るためには、村社会は協力的なようです。

 被害少年こそ転向させてあげれば良かったのに。
 暗澹たる気分になります。
    

7月分( 「 容認 」  )
24-07-01

 大飯原発3、4号機が再起動されることが決まりました。
 「安全性が確認されたら」→「夏の電力不足に対応するため」→「電気料金の値上げを抑える
ため」と再起動の理由は変遷しましたが、とにかく総理大臣の決断で決まりました。

 「安全性に関する責任は野田総理大臣が持つ。」
 ということですが、野田さんがいつまでもいるわけでもないし、そもそも責任なんてとれるわ
けでもありませんから、まあ言ってみただけなんでしょう。

 おおい町の町長も福井県知事も原発の再起動に対しては「容認」なんだそうです。
 「容認」という言葉を辞書で引くと
 「無理な申し出を許容する。」
 とありますが、今後はこの言葉の意味も修正されていくかもしれません。
 「喜びを押さえながら、勿体をつけて同意する。」
 みたいな。
 「昨日プロポーズされたので、今日夕食を伴にしながら容認した。」
 というような使われ方がされるようになるかもしれません。

 これからは、関を切ったように停止中の原発が再起動されることになるでしょう。
 「容認」したい市町村がいっぱいあるわけですから。
 「不確かな事故の脅威より、今日・明日のお金の方が大事。」
 ということでしょう。
 まあそれはそれで仕方ないことかもしれませんが。

 「ダム建設反対!」
 と言ってきた人たちが今や建設推進を求め。
 「原発建設反対!」
 と言ってきた人たちが、原発再起動を求め。
 お金という麻薬を摂取し続けて、今やその麻薬から抜け出せなくなっている。
 麻薬を摂取している時は高揚していられるけど、麻薬が切れたら錯乱してしまう。
 でも麻薬依存のままでいると、いずれ廃人になってしまいます。
 「脱原発依存」が叫ばれる中、生活を原発に依存している町こそ「脱原発依存」に向かって政
策を進めていかないと、いずれ廃墟の街になってしまうと思いますけどねえ。
    

6月分( 「 市民XX 」  )
24-06-01

 東北の震災ガレキの処理で、東北以外の受け入れ地域の各地で反対運動が起こります。
 今月に入っては、北九州市で「市民団体」が受け入れ反対の実力行使をして、試験的焼却
の作業が一時ストップしました。

 こういう時によく出てくる「市民団体」というのはいったい何なんでしょう。
 一般的な市民の考え方を代表した団体とは思えません。
 多くの場合、普通の市民とは異なった、極端な考え方を持って行動を起こす、一部のちょっと
変わった人たちの集まり・・・となっているようです。

 「右翼団体」や「左翼団体」それに「暴力団体」などと同じようなジャンルに入ると思った方が
いいのではないでしょうか。
 ただ「市民」と名がついているので誤解しやすいですが。

 「市民派」という人たちも曲者です。
 どこかの町にも「市民派」と称する市会議員がいますが、とても一般市民の考えを代表して
いるとは思えません。
 小さなことをほじくり返して、訴訟を起こしてみたり、市政に因縁をつけて公共事業を遅らせて
みたり。
 とうてい市政の役に立っているとは思えません。
 ただ、市会議員として一応当選しているわけですから、ある程度は信者がいるわけですが。

 同じようなことが「環境団体」なるものにも言えます。
 シーシェパードなどはそのたぐいの団体でしょう。

 一部の人たちが、さもみんなの意見を代表しているかのようなことを言いながら起こす行動
については注意をしなくてはなりません。
 多くの場合それらの行動は、単に彼らの趣味・嗜好に基づいた行動だからです。
 世のため・人のためではなく、ひたすら自分のために行動しているのです。

 「市民XX」と名がついたらまずは疑ってみるべきでしょう。
      

5月分( 「 市議会議員なんて要らない 」  )
24-05-01

 この地域では4/22に市議会議員の選挙がありました。
 14人の定数に対して18人が立候補。

 今回は選挙には絡みませんでした。
 というか、今後とも誰の選挙でも、何の選挙でも、もう絡むつもりがありません。

 ところで、市議会議員というのは、何をする人なのでしょう。
 選挙公約で
 「水道料金を引き下げます。」
 と言っている候補者がいました。

 「高速道路を早期に完成させます。」
 と言っている候補者もいました。

 でも、それらを市議会議員の公約にしても、責任なんて取れないですよねー。
 自分の所管ではありませんので。

 そんな「公約」を掲げながら
 「よろしくお願いします。」
 と叫んでまわる。

 市のため、市民のために働いてくれるなら、本来お願いするのは市民の方。
 候補者の方からお願いするものではないと思いますが、選挙というものはやはり候補者が
お願いしてまわるもののようです。
 「出たい人より出したい人を!」
 ということばもありましたが、現実には「出たい人」ばかりです。

 市や市民のために働くのではなく、ひたすら自分のために働く議員さんばかり。
 議員になることが最終目標なのです。
 「そんな議員なんて要らない!」
 と言ってみても空しいばかり。

 どうしたものでしょう。
    

4月分( 「 本質から外れた議論 」  )
24-04-01

 最近思うに、どうも本質から離れた議論が行われたり、本質から離れた方向に行ってしまっ
ている事象が多く見受けられます。

 その1 : 原発の再稼動問題

 「ストレステストの結果がOKだから安全・安心だとして再稼動を認める。」
 これって、本質論ではないと思います。
 従来、「原発は安全・安心である」という幻想の上にいろんな体制が出来ていて、「想定外」
の津波が押し寄せたら、大混乱が起きて制御不能になってしまったというのが現実です。

 安全策を追求することは必要ですが、それで原発が絶対安全になるわけではありません。
 そもそも原発なんてーのは、実に危険なものなのです。
 そういう危険なものが危機に陥った際に、いかに冷静に制圧する組織・体制ができているか
どうかが安心を得られるかどうかの本質です。
 一度危機に陥った原発を制圧するためには、軍隊並みの体制が必要です。
 まじめな話、原発事故の際に指揮をとる体制は、自衛隊の中にあった方がいいのかもしれま
せん。
 チェルノブイリでは、命をかけて突入してバルブ操作したのは、軍隊の志願者だそうです。
 いわば「特攻隊」です。
 そういった危機対応の組織・体制の議論がないまま、いつのまにかまた、安全・安心の幻想
の世界に戻ろうとしています。

 その2 : 音声添付メールの問題

 「災害時などに便利」とかで、メールに音声を添付する機能を携帯電話会社がこぞって提供
するんだそうです。
 でもこれってなんか変ではありませんか。

 災害時には、通信量を極力少なくする方策を考えるのが本質だと思います。
 音声を添付するメールが多くなれば、それだけデータ量が増え、通信設備の能力を圧迫して
しまいます。
 災害時になにも音声がなくったっていいのに・・・。
 それよりまず、少しでも多くの人のメールがつながることです。
 災害時は「ショートメール」だけ可能・・・といった制限を付けたっていいと思います。
 どうも携帯電話会社の考えがよくわかりません。

 関連してですが・・・。
 災害時、緊急時の市民に提供する情報というのは、出来る限り情報量が少ない方がいいと
思います。
 情報がいっぱいあるというのは、ほとんど情報が無いというのに等しいと思います。

 例えば「緊急地震速報」というのがありますが、大した地震でもないのに発表されると、その
価値がどんどん薄れてしまいます。

 3/14に三陸沖で地震があり、「津波注意報」が発令されました。
 ある地域では
 「ただちに高台に避難して下さい。」
 などと誘導していました。
 でも、こんなことをしていたら、そのうちまた誰も避難しなくなります。
 「「大津波警報」が出た時だけ高台に避難して下さい。」
 といったように、情報を絞らないと、どんどん情報の価値が薄れていきます。

 その3 : 孤立死問題

 孤立死・孤独死問題が話題になっています。
 「何ヶ月もたって死んでいるのが見つかった。」
 「どうしてもう少し早く見つけてやれなかったのか。」
 などという議論がありますが、これも本質論ではないような気がします。

 死んでいるのであれば、翌日に見つかろうが1ヶ月後に見つかろうが大差はありません。
 「家族といっしょに住んでいて、朝起こしに行ったら死んでいた。」
 これも死んでいるのであれば大差はありません。
 死の尊厳といった情緒的観点では違うと思いますが。

 孤独死とはいったい何なのか。
 死んでから見つかるまでの時間が長いと孤独死と言われます。
 でも、本質的な孤独死というのは
 「死に至るような事象が起きたのに、誰かに伝えることができずに、救命処置を受けられない
まま死んでしまった。」
 ということなのではないでしょうか。
 死んだ人を早く見つける努力をしても、本質的には何も良くなりません。
 「死に至りそうな人をいかに早く見つけて救助するか。」
 といった前向きな手段・方法を見つける努力をしていかなければなりません。

 その4 : 市民感覚と市民感情の問題

 裁判員制度が発足したのは、司法の世界に「市民感覚を取り入れる」ためということです。
 同じことが検察審査会でも導入されて「強制起訴」ができるようになりました。
 私は基本的に裁判員制度には反対ですが、それ以上に検察審査会のあり方に大いなる疑
問を持っています。

 検察審査会の場合は、「市民感覚」というよりヒステリックな「市民感情」が色濃く反映されて
いるように思います。
 小沢さんの強制起訴にしても同じです。
 それでは本質的に求めているものとは違います。

 ヒステリックな市民感情というのはいろんなところに出てきます。
 ヒステリックな感情や思想を持った人間はどこにも存在します。
 例えば「田島陽子」氏のように。

 原発反対にしてもヒステリックな感情で行動している人がたくさんいます。
 そういう状況では本質的な議論は行えません。
 島田市が東北の震災瓦礫の受け入れを決めましたが、ここでもヒステリックな感情で受け入
れ反対を叫ぶ「おばさん」がテレビに映し出されていました。

 「市民感覚」と「市民感情」は違います。
 感情に流されないような冷静が議論が必要だと思います。

 こういった本質論へ議論を誘導するためには、マスコミの力が重要なのですが、そのマスコミ
が感情に走った報道や論評をしてしまいますので、ちっとも良くはなりません。
 おかげでますます市民は感情に流されてしまいます。
 そして、最終的には感情に流されて選挙で投票をしてしまいます。

 みんなで本質的な議論をできるようにならないと、この国の将来は明るくなりません。
    

3月分( 「 維新八策 」  )
24-03-01

 「大阪維新の会」の橋下さんが、「維新八策」と称した政治姿勢の素案を出しました。
 坂本龍馬の「船中八策」になぞらえているようですが、別に八策である必要はないと思いま
すが・・・。
 各方面から異論反論が出ているようですが、私はある程度共感しています。

 例えば「参議院の廃止」には大賛成です。
 現在の政治システムで諸悪の根源は参議院が存在することだと思います。
 衆議院のカーボンコピー、衆議院選での落選議員の受け皿・・・・。
 不要である物的証拠は十分にあります。

 参議院があって一番問題なのは、「ねじれ」を起こして政治がちっとも進まないことです。
 こらえ性のない国民が、時期を別にして気分屋的な人気投票で別の政党を選んでしまう。
 これではいつまでたってもこの国は良くなりません。

 マニフェストなるものも諸悪の根源です。
 人気取りの一時の「政策」でもって国民の関心を引き付け、その「政策」をさも全て実施する
かのようなことを言って選挙を戦う。
 単純な国民もそんな「政策」に期待して投票してしまう。

 以前にも書きましたが、政治に重要なのは「理念」です。
 「政策」ではありません。
 「理念」は変わりませんが、「政策」はその時々の状況でどんどん変わるものです。
 今の政治は、「理念」を語らないまま「政策」を語るものだから、根本的なことがちっとも変わ
って行きません。

 国会で議論されようとしている「社会保障と税の一体改革」は、基本的には「消費税の増税」
のことでしかありません。
 もともと一体改革なんぞではありませんし、そもそも社会保障と税は一体で考えるものでは
なく、別々に考えるものだと思います。

 「社会保障の理念」をしっかり描いて、それに基づく政策を作っていくと、そこで初めてどれく
らいお金が必要か出てきます。
 「社会保障」といっても年金や介護や生活保護などいろいろあります。
 従って、まずは「社会保障の一体改革」が必要です。
 そうした「社会保障の一体改革」の中で出てきた必要なお金をどういう形で安定的に用意す
るかは、また別の議論が必要です。
 社会保障と税を2元方程式で解いても、解はありません。

 「社会保障」のために必要なお金を用意する方法としては、税金や保険料の徴収や資産運
用など、いろいろあります。
 そしてまた、必要なお金は「社会保障」だけではありません。
 公共事業費や地方交付金や公務員給与などなど。
 そうした全てのお金を用意するためのいろいろな方法としての「一体改革」もまた必要です。
 「消費税を5%上げる。」
 というのは、ほんの一部の付け焼刃の議論でしかありません。
 こんな付け焼刃な議論しかできないのは、政治家に「理念」がないからだと思います。

 橋下さんにはぜひ、小ざかしい「政策」の議論ではなく、大局的な「理念」について大いに議
論をしてもらいたいものです。
    

2月分( 「 パラドックス 」  )
24-02-01

 「パラドックス」ですねー。

 民主党が野党に法案提出前の事前協議を申し入れると
 「そんな談合みたいなことはするべきではない。」
 「民主党がまず法案を出して、国会で堂々と議論すべきだ。」
 ということで、事前協議は成立しません。
 「なるほど。野党の意見ももっともだ。」

 議員定数削減で民主党が比例80削減の法案を出そうとすると、野党は
 「民主党だけで勝手に決めるな。独善的だ。」
 「事前にみんなの意見を聞いてから法案提出すべきだ。」
 ということで、混乱します。
 「なるほど。野党の意見ももっともだ。」

 もっともらしい意見ですが、上の両者は論理矛盾を起こしています。
 こういうのを「パラドックス」と言うのでしょうね。

 政府が消費税増税法案を提出することに対して野党は
 「マニフェストを守れないような政府は即刻解散して信を問うべきだ。」
 と言います。
 確かに民主党のマニフェストでは4年間消費税は上げないことになっていましたからねえ。
 「なるほど。野党の意見ももっともだ。」

 そしてまた、議員定数削減で民主党が比例80削減の法案を出そうとすると、野党は
 「マニフェスト通りに出してくるのはけしからん。」
 「少数政党にもっと配慮すべきだ。」
 と言います。
 確かに民主党のマニフェストには定数80削減と書いてありましたけどねえ。
 「なるほど。野党の意見ももっともだ。」
 
 この両者も論理矛盾を起こしています。
 これまた「パラドックス」です。

 こういった議論が国権の最高機関で交わされているのです。
 政党も国会議員も信用されなくなって当たり前ではないでしょうか。

 電気料金の問題もよくわかりません。
 東京電力が電気料金の値上げをするそうです。
 理由は、原発が止まって火力発電に切り替えたため、燃料代が増えたためだそうです。

 でも、中部電力は御前崎の原発を政府の指示で止められて、原発は1基も稼動していない
のに、電気料金値上げの話はありません。
 それに沖縄電力はそもそも原発がありません。

 「原発だから電気料金が安い。」
 というのは、東京電力だけの話なんでしょうか。
    

1月分( 「 暗澹たる気分 」  )
24-01-01

 最近の沖縄問題などのニュースを見るにつけ、暗澹たる気分になります。
 同じような臭いのする問題が世の中にいっぱいあるからです。

 「沖縄問題」、「原発立地問題」、「農業問題」、「同和問題」、「雅子妃問題」・・・。
 そしてそのほかの国の政策のほとんどに同じ臭いがします。

 「気にし過ぎて相手を増長させ、本質的な議論・検討が行われないまま曲がった方向に進
み、やがては組織や個人が腐ってしまって、どうにもならない世界に落ちて行く。」

 沖縄県としては、年間3000億円の交付金を向こう10年にわたって政府に要求しているそう
です。
 3兆円ということです。
 過去からずっと、「沖縄振興」と言いながら金を突っ込んできましたが、一向に沖縄の発展は
見られません。
 本質的な議論・検討が行われてきていないからだと思います。
 「基地があるから・・・。」
 それだけで思考停止してしまっていることが多すぎます。

 「沖縄はゆすりの名人」
 と言った人がいましたが、グッと引いて見てみたら、そういうふうに見えても仕方ありません。
 何でもかんでも基地問題を引き合いに出すのは間違いです。

 防衛大臣問責などということも、まさに感情論です。
 野党も、暴行を受けた少女のことを、今さら国会で持ち出す神経がわかりません。
 その少女だって、今さらながらまた傷つけられていることでしょう。
 信じられないことに、沖縄の人たちもそれに乗っかって騒いでいます。
 「事件のことを詳しく知らない。」
 というのが防衛大臣の「不適切発言」らしいですが、不適切なのは今さら蒸し返している方な
のではないでしょうか。

 国会で議論するなら、「地位協定の更なる改善について」といった地に足のついたことをすべ
きではないでしょうか。
 問責で大臣を変えようが、もう一度自公政権になろうが、本質的な議論が行われなければ、
結局何も変わりません。

 国の消費税問題にしても同じです。
 行政改革問題にしても同じです。

 指導者が悪いということにつきるのかもしれませんが、まともな指導者はどこにもいないのか
というと、そうでもなさそうです。
 そういう世界にずばりと切り込んでいけそうなのが「橋下大阪市長」です。
 橋下さんは
 「政策の問題ではなく、理念や構造や体制の問題だ!」
 ということをよく言われます。
 まさにその通りだと思います。

 民主党のマニュフェストの公約が総崩れだと言われています。
 要は掲げた政策が実行できていないということです。
 でも、政策なんてその時々で変わるものです。
 理念があって、その理念を実現するために政策があります。

 「コンクリートから人へ」
 というのは立派な理念です。
 「政治主導」
 というのも立派な理念です。
 でも
 「消費税を当面上げない」
 というのは単なる政策であって、理念ではありません。
 民主党として問題なのは、政策だけでなく、重要な理念まで捨ててしまったことにあります。

 既得権益や感情論を排して、理念に基づいた冷静な議論がなされない限り、何事も真の解
決はあり得ません。

 浅田真央選手が母親の危篤に際し、グランプリファイナルを欠場して帰国したことが、美化さ
れてマスコミに取り上げられています。
 それって何か変ではありませんか?
 感情論に流されていませんか?
 一般サラリーマンだって、大事な仕事を抱えていたら、仕事優先で親の死に目にあえないこ
となんていくらでもあります。
 グランプリファイナルというのは、”その程度”の”仕事”だったということなのでしょうか?
 オリンピックであっても欠場したんでしょうか?
 そうだとすれば、代表選手は親の健康状況も加味して選ぶ必要があります。

 「東北の復興支援のため、仙台にパンダを呼ぼう。」
 ということで、1頭1億円/年近いレンタル料を払って、中国からパンダを借り受けようとして
いるとのニュースがありました。
 これもちょっとずれているような感じがします。
 「東北復興問題」だけは、上記のような悪の仲間入りをしないようにしてもらいたいものです。
    

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