迷人の雑言(平成23年分)

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12月分( 「 老害 」  )
23-12-01

 巨人軍の清武GMと渡邊会長のバトルが世間をにぎわかしました。
 どっちの言い分が正しいのかはよくわかりません。
 多分「どっちもどっち」なんでしょう。

 ただ、私が常に思っているのは
 「老害を与えることは厳に慎むべき!」
 ということです。

 そういう意味では、少なくとも渡邊さんは典型的な「老害」加害者だと思います。
 85歳にもなる人が、トップに君臨して「鶴の一声」なぞを発してはなりません。
 トップになる人は、それなりに若さを持っているべきだと思います。

 「「先人の知恵」とか「経験」とかが捨てがたい。」
 という意見もありますが、それらは参考意見にすればいいわけで、そういう知恵とか経験を
持った老人がトップになる必要はありません。
 トップを支える側にまわるべきだと思います。

 政治家にしてもしかり。
 大勲位・中曽根さんも、ご意見は言ってもいいですが、自分で動いてはいけません。
 そういう意味もあって、小泉さんから政治家引退を突きつけられたのだと思います。
 
 ある程度実績を残した人は、歳をとってからもいつまでも
 「オレ以上にできる人はいない。」
 といった錯覚を抱いて生きています。

 歳をとって、孫の運動会に出て走ってみて、スッテンコロリンと転ぶのも、自分の脳が錯覚を
抱いているからです。
 頭の中では走れているのに、体がその通りついていけないので転んでしまう。

 ・・・同じことだと思います。

 先日、会社の後輩たちと飲む機会がありました。
 その席で後輩たちに
 「今仕事に復帰しても、キミらよりはまだ仕事ができるぞ。」
 とか
 「昔のオレたちは、キミたちよりもっとキッチリ仕事をしていたぞ。」
 みたいなことを私も言っていました。
 ・・・年寄りのたわ言です。
 「年寄りというのは、みんなそういうことを言いたいのよ。」
 私のように、言うだけで現実に行動しない人は問題ありません。

 よく会社で「相談役」というのがあります。
 「クビにできない役員の一時的な閑職ポスト」的な意味合いが一般的です。
 しかし、本当に、まさに読んで字の如しの役職として位置づけている会社もあります。
 本当の意味の「相談役」として活躍できれば「老害」にはならなくて、会社の役にも立つと思う
んですけどねえ。

 渡邊さんが真の「相談役」になることはあり得るのでしょうか・・・。
 煩悩が強すぎて多分無理でしょうね。
 煩悩の一番強い「地獄」から抜けられない。
 85歳にもなって・・・。
 一種の哀れささえ感じます。
    

11月分( 「 官僚主導 」  )
23-11-01
 
 「政治家主導」と言っていた民主党政権が、すっかり官僚主導の政権に戻ってしまいました。
 安住財務大臣などはかわいそうなくらい「官僚に使われている」という姿が垣間見えます。
 もっとも、ずば抜けて頭のいい、しかも何十年も同じ仕事をしてきた官僚に、ポッと出の政治
家がかなうわけもありませんが。

 鳩山さんが「最低でも県外」などと余計なことを言ってしまったため、沖縄の普天間問題は暗
礁に乗り上げてしまいました。
 最初から官僚にまかせておけば良かったのに・・・。
 昔、自民党政権時代の大臣の国会答弁で
 「その件は大事な問題なので、事務方から答弁させます。」
 と言ったということがありましたが、まさに本質をついています。

 官僚を辞めて政治家になるという事例もたくさんあります。
 国会議員、県知事、県会議員、市長などなど。
 わが町の市長も県会議員も元官僚です。
 県会議員は県の元職員、市長は市の元職員です。
 「天下り禁止」などと言いますが、政治家も立派な天下り先になっています。

 私は、官僚主導が悪いことだとは思っていません。
 しょーもない政治家に将来を託すよりも、官僚に託した方が間違いが少ないのではないかと
思っています。

 それに、日本人は独裁者を好みます。
 自分たちで何とかしようという意欲を持ち合わせていません。
 とにかく誰かに指示されることを待っています。
 「お上」意識から抜け切れません。

 中国よりはマシな「官僚独裁」政権でいいのではないでしょうか。
    

10月分( 「 想定外って・・・ 」  )
23-10-01
 
 先日、原子力学会で、東北大学の首藤名誉教授が講演を行いました。
 首藤さんは23年前、雑誌に掲載された論文で、津波によって原発の電気系統の設備が障
害を起こす危険性を指摘し
 「過去に被害の例がなくても対策を講じるべき。」
 と訴えていました。その後も想定を超える津波への備えを訴えてきましたが、原発の安全対
策には生かされませんでした。

 今回の講演で首藤さんは、電力会社に対して
 「津波対策にお金をかけませんか?」
 と聞くと
 「大事なのは分かっているが、どれくらいの頻度で起きるものか?」
 と聞かれるだけだったと述べ、電力会社の間に、想定を超える津波への対策は経営上難し
いという考え方が支配的だったことを指摘しました。
 そのうえで
 「津波の被害は地形や構造物の形の違いでどうなるか想定が難しい。」
 と述べて、自然を相手に被害を想定するには想像力を働かせることが重要だと訴えました。

 これまで、電力会社も国も、津波の想定を極小化してきたことが浮き彫りになっています。
 「想定外」というのは、「想定したくなかった」ということなのでしょう。

 この講演が終わったあとの原子力学会員へのインタビューで
 「私たちは地震や津波に関しては素人ですから、いい勉強になりました。」
 と言っている人がいました。
 「それじゃダメじゃん!」
 思わず突っ込んでしまいました。
    

9月分( 「 新総理は決まったが・・・ 」  )
23-09-01
 
 新しい総理大臣が決まりました。
 政治そのものには期待も興味も無くしていますので、特別の感想はありませんが、決まるま
でのドタバタは相変わらずです。
 政治家の言動もそうですが、マスコミの偏った意見が何のフィルターも通さずにテレビを通し
て垂れ流されています。
 「政治評論家」、「解説委員」、それに「みのもんた」。
 それらの無責任な人たちの思いつきのような発言が、さも真実のように流されています。
 そして、それに一般国民は扇動されてしまいます。

 「総理大臣にしたい人No1は前原さん。」
 世論調査では40%ぐらいの支持だったそうです。
 「脱小沢路線を貫くべきだ。」
 というのは圧倒的意見だそうです。

 でもね・・・皆さん。
 「いったい前原さんのことをどれだけ知っていますか?」
 「小沢さんのことをどれだけ知っていますか?」
 少なくとも私は二人のことをほとんど知りませんので、軽々に評価は下せません。

 一般国民はイメージだけで評価をしてしまいます。
 自分の考えではなく、「みのもんた」の意見に乗っかってしまいます。
 そこが怖いところです。

 小沢さんはずい分嫌われていますが、私の経験上言えることは
 「ライバル関係にあるとき、自分より実力が上の人は嫌いになる。」
 ということです。
 要は、自分がかなわない相手は嫌いになり、敵になっていくということです。
 ライバル関係でなければ、実力を認め尊敬する存在になりますが。

 「小沢支配からの脱却」
 というのは、単に小沢さんを仲間外れにすることではなく、小沢さんと政治的に互角以上に
戦って、勝っていけるような力をつけることだと思います。

 「数を頼りにするのはいけない。」
 というような意見がありましたが、「政治は数」というのは真実です。
 そうでなければ政党や政治団体や政治グループの意味がありません。
 野田さんも2位以下連合で代表に選ばれました。
 これこそ「数の論理」です。
 また、それが民主主義なのです。
    

8月分( 「 もしドラを読んで 」  )
23-08-01
 
 先ごろ「もしドラ」の本を読みました。
 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら」
 というのが正式タイトル。

 世間の流行に乗って、私も買って読んでみようかと思っていましたが、本屋で手にとってみた
ら、1,600円(税抜き)もするので買うのをやめていました。
 そんな話をしていたら息子の嫁が、私の誕生日祝ということで先月プレゼントしてくれました。

 高校野球の女子マネージャーが、弱体野球部を甲子園に出場させようと、「ドラッカー」の「マ
ネジメント」の本を読み、その教えを参考にしていろいろ策を講じて強力野球部に変身させると
いうもの。
 地区予選の決勝戦で、9回裏に逆転サヨナラ勝ちをし、念願の甲子園出場をはたすという、
水戸黄門のようなハッピーエンド物語です。

 物語そのものはそう大したものではありません。
 ただこの本は、野球部という組織を一つの材料にして、組織経営学の権威である「ドラッカ
ー」の言うことを当てはめてみるとどういうことになるのか・・・というのを、本の筋立てにしてい
ます。
 「「ドラッカー」の言うことを、具体例を使ってわかりやすく解説した本」
 ととらえた方がいいかもしれません。

 その中に出てくる(「ドラッカー」の言うことの)一つ。
 「真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定におい
て象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければ
ならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは
二、三週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの
欠如は許さない。決して許さない。彼らはそのような者をマネージャーに選ぶことを許さない。

 「管総理ではやっていけない。」
 と与党からも野党からも大合唱されました。
 一方
 「震災被災者をほっておいて、政治家は何を言っているんだ!」
 という批判もありました。

 それでも、およそ40年前に書かれた「ドラッカー」の本には、既に上記のような真理が述べら
れています。
 そういうことからすると、政治家みんなが怒るのも仕方ないのかもしれません。
 一般の組織でもそうなのですから、総理大臣たるもの、「真摯さ」を身につけていることが最
低限の条件なのではないでしょうか。
 「ペテン師」などと言われるようではいけません。

 ついでに言えば、辞任した松本復興相などは言語道断といったところです。
 本人の釈明によれば
 「九州の人間だから・・・。」
 ということでしたが、
 「九州の人には「真摯さ」が無い。」
 ということになってしまいます。
 釈明にさえ「真摯さ」が感じられないというのでは、どうしようもありません。

 それに比べて、「なでしこジャパン」の佐々木監督や澤選手は立派なリーダーのようです。
 立派なリーダーのもと、組織として一丸とならなければ、ワールドカップで優勝するなんてこ
とにはなりません。
 「なでしこジャパン」は日本人に久々の感動を与えてくれました。

 「なでしこジャパン」の感動の余韻に浸っているころ、今度は
 「海老蔵に子どもが生まれた。」
 とのテレビの報。
 「そんなことドーでもいいっちゅーに!」
 思わず怒鳴ってしまいました。

 それにしても・・・。
 「感動するような政治」
 などというものは、望むべくもないのでしょうか。
    

7月分( 「 六道輪廻 」  )
23-07-01
 
 国政がスッタモンダしています。
 ヤクザの喧嘩と同じです。
 「ヤクザの喧嘩とかけて・・・。」
 「整いました!」
 「「おっぱい」ととく。」
 「その心は?」
 「スッタ・モンダで大きくなる。」

 管総理も相当に執着心が強いようです。
 「総理を辞めたらお遍路に行く。」
 と言っているようですが、そんな雑念ムンムンの人がお遍路に行っても、弘法様も困ってしま
われるのではないでしょうか。

 仏教の世界には「六道(輪廻)」というのがあります。
 「地獄」→「餓鬼」→「畜生」→「修羅」→「人間」→「天上」
 この六段階の一番上が「天上」ですが、それでもまだ迷いの世界です。

 お墓に行くとよくお地蔵様が6体並んでいます。
 いわゆる6地蔵です。
 これは六道のそれぞれに対応してお地蔵様が6体いらっしゃるのです。

 さて六道の中の下から2番目の「餓鬼」。
 「もっと・・・。もっと・・・。」
 と欲しがり続ける世界です。

 子どものことを「ガキ」と言いますが、子どもというのは、いくら与えても満足することなく、「も
っと・・・。もっと・・・。」とねだり続けることから、「「餓鬼」の如し。」ということで「ガキ」と呼ばれる
ようになったようです。

 こんな話、以前にも書いたような気がしますが。

 それはともかく、管総理はまさに「餓鬼」の世界にいるようです。
 管総理に限らず、政治家みな同様かもしれませんが。
 そしていずれは「地獄」の世界に落ちる。
 そんな迷い多き世界では立派な政治なんて望むべくもありません。

 管総理は以前お遍路に行かれましたが、結局その効果は無かったということでしょう。
 今回の東日本大震災でお浄土に行かれた方々を思い、少しでもステージを上げてもらいた
いものです。
    

6月分( 「 原発論議 」  )
23-06-01
 
 原発の問題ですが、やはり政府や東京電力の発表はウソばかりのようです。
 「メルトダウンは早々に起きていた。」
 と2ヶ月後に発表。
 「海水注入を中断していた。」
 「いや、中断はしていなかった。」
 これでは、だれも政府や東京電力の言うことを信用しませんよね。

 専門家やマスコミもいい加減の限り。
 「汚染水の処理には1トンあたり1億円かかる。」
 「今後発生する分を含めて20万トン処理しないといけないから20兆円かかる。」
 という話を専門家を入れたテレビの番組でやっていました。
 「そんなアホな話があるか!」
 とは私の直感。
 その後東京電力から
 「20万トン処理するのに500〜600億円かかる。」
 という発表がありました。
 それでも高いと思いますが、常識的に考えて
 「20兆円なんて金額が成り立つわけがない。」
 と思うのが自然。
 非常識な話がスルーで電波に乗って、全世界に流布されます。
 思考能力のないマスコミにも困ったものです。

 浜岡原発停止に関しても一時混乱しました。
 こちらは原発を抱える町の首長さんの発言に違和感を感じました。
 御前崎市長が
 「地元の意見を聞いてからにしてほしかった。」
 「浜岡以外の原発はなぜ止めないんだ。」
 「浜岡を止める理由をはっきりさせろ。」
 などとの発言。
 「アホかこのおっさん。」
 と思いました。

 御前崎市の市民の反応もさまざま。
 「原発が止まると、仕事もなくなって困るのでは?」
 みたいな意見も。
 もともと、原発の存在する地域の市や町は、原発誘致賛成派が多いわけだから、原発が停
止したり廃止になったりして、補助金その他の恩恵がなくなっては困るわけです。

 原発を誘致した町は、極論をすれば、命を担保にして補助金を獲得しているわけです。
 従って、原発事故が起きても、ある程度は許容しなければなりません。
 ただ、補助金を受けてない町はとても許容はできません。

 原発事故は影響が広範囲にわたります。
 原発を誘致した町だけの問題では終わりません。
 福島原発の放射能が神奈川県のお茶に影響を与えています。
 神奈川県は福島原発の補助金を受けているわけではありません。

 そういった広範囲な原発事故災害を2度と起こさないように、地震に対して最も危険な地域
にある浜岡原発を一旦止めようということになったはずです。
 「御前崎市長はそんなこともわからないのか!」
 ま、わかっていても、首長として自分たちのエゴを貫き通さざるを得なかったのかもしれませ
んけどね。
 とはいえ、この時期の首長の発言としては次元が低すぎますね。

 国会議員も、県会議員も、市会議員も、知事も、市長も、この時期はもうちょっと天下国家を
論じてほしいものです。
      

5月分( 「 第一原発はどうなる? 」  )
23-05-01
 
 福島の原発の先行きがいまだ見えません。
 東京電力の工程表なるものが出ましたが、どうも信用できません。
 
 直感的には、穴のあいたヤカンに水を入れているような状況を、果てしなくいつまでも続ける
しかないような感じがします。
 そして、漏れ出てきた汚染水を汲み続ける。
 そういう状況で燃料棒が冷え切るまで、何年も待ち続けるしかないような気がします。

 テレビに出てくる「専門家」という人たちは、みんな楽観的なことを言います。
 本当にそう思っているのでしょうか。

 いわゆる原子力に関わっている専門家とか学者といった人たちは、要は原発推進論者なの
で、危険とか不安とかいうことを言いにくいのかもしれません。

 「チェルノブイリよりははるかにマシ。」
 と言われていますが、今まだ進行中の福島原発は、累計としていずれチェルノブイリより多く
の放射性物質を放出したことになるのではないでしょうか。

 何となく重〜い気分になりますね。
    

4月分( 「 東日本大地震 」  )
23-04-01
 
 3/11の14:00から、「篤姫」の再放送の最終回を見ていました。
 14:45ごろ、ドラマが突然中止になり、地震関連の放送になりました。
 「震度7」という数値にびっくりしていると、「大津波警報」なるものが発令され、津波予想が6
mなどと表示されています。
 
 津波のイメージをきちんと持っていないので、何となく実感がわかないままテレビを見ていま
した。
 そうしていると、港からどんどん海水があふれ出す姿がリアルタイムで映し出されます。
 「今そこに車が走っていたのに!」
 「あの車は巻きこまれてしまったろうな!」
 てなことを言いつつテレビに釘づけです。

 日がたつにつれ、津波被害の惨状が明らかになり、万単位の死者・行方不明者になるという
予想に、暗澹たる気持ちになります。
 
 原発の問題も深刻です。
 起こっていることがよく見えません。
 手の施しようがなくなった最悪の状況時に、どういうことが起こるのか誰も説明してくれませ
んので、覚悟の決めようがありません。

 この世に「完全」などというものはありません。
 「完全な対策」なぞは存在しません。
 従って、「絶対安全な原発」なんてあり得ません。
 もともと原発とは大変危険なものなのです。

 それから、「全くの善人」なんぞも存在しません。
 仏教の世界では、人はみな「悪人」であるとされています。
 (いわゆる一般的な「悪人」とは、少々「悪人」の意味あいが違ってはいますが。)
 仏様以外はみな「悪人」であり、大なり小なり煩悩を持っています。

 よく
 「「性善説」に基づいて・・・」
 という言葉を耳にします。
 京都大学のカンニング事件の時も、学校側からそんな発言がありました。
 しかし「性善説」なんてーのは一種の幻想であって、期待はしても現実にはあり得ないことだ
と認識する必要があります。

 完全ではないもの、完善ではないものに対してどう向かい合うかが重要です。
 それがいわゆる「危機管理」なのです。

 危機管理というのは、「ポテンシャル」の管理です。
 「危険であるポテンシャル」や「悪心の芽生えるポテンシャル」をいかに小さく抑えるかを追求
することです。

 「車の中にバッグを置いておかない。」
 というのは「出来心」を起こさせない(ポテンシャルを抑える)対策の事例です。

 カンニング事件ではそのカンニングを行った学生が悪いことは確かですが、カンニングしよう
という「出来心」を起こさせないようにすることが、ポテンシャル管理なのです。
 大学は決して被害者ではありません。
 「出来心」を起こさせてしまった罪は大きいと思います。

 原発の問題にしても、あまりにもポテンシャル管理がお粗末だったのではないでしょうか。
 東京電力は
 「想定外の規模の地震や津波が起こってしまった。」
 と言いますが、想定内のことだけに対処するのは、きちんとした危機管理とは言えません。
 想定外のことが起こっても、二の矢、三の矢を考え用意しておくのが危機管理です。

 「発電所で電気が使えなくて大事故になってしまった。」
 シャレにもなりません。
    

3月分( 「 お上意識の強い日本人 」  )
23-03-01
 
 中東情勢が混沌としています。
 長年続いた独裁政権に対する反政府運動が巻き起こっています。
 そして民衆に何千人もの死者も出ているようです。

 中東の国では、30年とか40年とか続けている指導者に対して、民衆からは「即刻辞め
ろ!」という声が上がっています。
 一方日本では1年で辞めてしまう指導者に、「もっと続るべき!」という声が上がります。
 いったいどっちが幸せなんでしょうか。

 そんな日本も混沌としています。
 予算の関連法案の成立が危ぶまれています。
 来年度の予算が執行されないようなことになったら、世の中の混乱は必至です。

 そんな状況の中でも、2/21のニュース番組のトップニュースはどのチャンネルも
 「上野にパンダがやって来た!」
 です。
 その後
 「海老蔵がパパに。」
 とか。
 「どうでもいいよ!」
 ついつい叫んでしまいます。

 日本ではネットも盛り上がらないようです。
 デモも起きません。
 国民性なんでしょうね。

 日本人は基本的に独裁政治向きのような気がします。
 民主政治には向いてないようです。
 もともと「おまかせ民主主義」体質ですから、誰かに決めてもらってそれに従っていくというの
が基本です。
 従って「お上」意識が強い。
 「自民独裁政権(=官僚独裁政権)」だったからこそうまくいっていた政治が、2大政党制なん
てことを言い出して、政権交代なんかしてしまったのでおかしくなってしまいました。

 日本の場合は「ムバラク」や「カダフィ」のような独裁者が必要なのではないでしょうか。
    

2月分( 「 退職して10年になるけど・・・ 」  )
23-02-01
 
 今年の8月で、退職してからまる10年となります。
 少なくともあと10年は、健康な状態で遊び暮らしたいと思っています。
 会社を早期退職した理由の一つが
 「20年は健康な状態で遊び暮らしたい。」
 ということでしたが、既にその半分が過ぎ去ろうとしています。
 時の経つのは早いものです。
 残りの時間が少なくなってくると、それが余計に早く感じるのかもしれません。

 退職してからこれまで、地域でいくつかの(ボランティア的な)役を引き受けてきましたが、昨
年の11月で一切を退任しました。
 それ以降は、これまで以上に実にヒマな毎日が続いています。
 ただ、もともとヒマなことが好きな私ですから、特に困ったことはありません。

 私の場合は、何か役を引き受けても、テキトー(おざなり)に勤めることが出来ないという欠
点があって、なんでもかんでも一生懸命やろうとしてしまいます。
 したがって、まわりにテキトーな人が多いと、どこかで不満が生じたり、他の人との軋轢が生
まれたりしてしまいます。
 ところが、地域社会はまさにそのテキトー社会なのです。
 地域社会では、テキトーに済ませることが肝要で、一生懸命やってはいけない仕事があると
いうことを、現実の問題として痛切に感じさせられました。

 そんなわけで、私にとっては、地域社会での仕事は全く不適任なことばかりなのです。
 それを悟ってから、引き受けた役を整理して徐々に退任し、ついに昨年11月で全ての役が
終了したわけです。
 会社と違って、地域社会というのは実に難しいですね。

 もう一つ整理しなければいけないことが一件残っていたのですが、これも今月終了し、今年
は心機一転、無垢の心で新しい生活をスタートすることができます。
 後半10年のスタートの年としては、いい区切りがついたと思っています。
    

1月分( 「 友人が亡くなって・・・ 」  )
23-01-01
 
 年の瀬の話題としてはちょっと寂しいですが、12/21に元の会社の仲間が亡くなりました。
 満62歳。享年63歳ということになります。
 12/24に千葉県で行われた葬儀に行ってきました。

 彼の歳は私といっしょです。誕生月も1ヶ月違い。
 彼は東京、私は愛知県で勤務していたのですが、プロジェクトとしていっしょに仕事をするこ
とが多く、まさに仲間、戦友でありました。
 肺がんにおかされ、およそ2年の闘病生活でした。

 2008年の9月28日、千葉県に住む彼が私の家を訪ねてくれました。
 彼はもともと愛知県豊橋市の出身で、実家の甥っ子の結婚式に出るついでに寄ってくれたも
のです。
 奥さんといっしょに我が家に一泊し、翌日から高山方面を旅行して帰るとのことでした。
 会ったのはこれが最後です。

 我が家に来たときに
 「最近は背中が痛くて、医者に行ったけど肋間神経痛とか言われている。」
 「動くとすぐ息切れがするので、最近はゴルフにも行っていない。」
 などと言っていました。
 それでもタバコをバカスカ吸っていましたので
 「もうタバコは止めたら!」
 なんて会話をしていました。

 そしてその年の12月に精密検査をしたら、肺がんであることがわかり、既にリンパに転移を
していて手術ができないということでした。
 この時点で彼も死を覚悟したようです。
 「1年もつかな?」
 とも言っていましたが、結局2年頑張ったということです。
 「よく頑張ったね。」
 と言ってあげたいと思います。

 葬儀のとき、喪主である長男が
 「死を覚悟していたし、好きなこともやってきたので、悔いはなかったと思います。」
 と挨拶していましたが、私はそうは思いません。
 さぞかし心残りだったことだろうと思います。
 何よりくやしかったことだろうと思います。

 彼からのメールは残っています。
 これからもきっと私が死ぬまで残っていることでしょう。
 ここに彼からのメールを2つ紹介しておきます。
 一つは彼が闘病中に彼のお母さんが亡くなったときのメール、もう一つは別れを告げる最後
のメールです。

 2009年11月23日のメール
 11/21(土)通夜、22(日)9時半から告別式で、愛知県豊橋まで行ってきました。
 最近は運動不足のため、駅まで13分で歩けていたのが倍の時間かかってしまい、かつ息
切れでふうふう言う始末。
 告別式の最後に、司会者が故人の紹介をしているのを聞き、自分の少年時代の母の姿を
思い出したら、涙を抑え切れませんでした。
 親父もお袋も80歳後半まで生き、大往生と言える人生だと思っており、そんな人の葬儀の、
まさか人前で泣くなんて、思ってもいませんでした。
 内心、自分のことを親不孝な冷たい人間だと思っていましたが、まだ涙を流す事ができるん
だと、あらためて自分を見直しました。
 新しい抗がん剤での通院治療の5回目が明日予定されていますが、この薬は副作用がきつ
く、年明けの1/6に49日の法事を豊橋でやる予定ですが、行けるかどうか心配しています。
 これで自分とカミさんの両親とも失った事になりますが、昨年末には逆縁で自分が先に逝く
ことにになるかと思っていましたが、これでいつ逝っても良いという気になりました。

 2010年9月24日のメール
 8月の中旬から一気に具合が悪くなり、突然ベッドから自立出来なくなり、病院に通うにも介
護タクシーでおんぶして貰い、タクシーに乗る様になりました。
 介護保険の申請(2級)をして、訪問看護サービスの2回目を今日受けました。
 当面は、1回/週の予定で受ける事になりました。
 こんなサービスが無かった時代は、家族にも気を使い、大変だったと思います。
 こんな状況で、もうあまり先が長くはないと思います。
 今までお世話になりました。
    

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