3/11の14:00から、「篤姫」の再放送の最終回を見ていました。
14:45ごろ、ドラマが突然中止になり、地震関連の放送になりました。
「震度7」という数値にびっくりしていると、「大津波警報」なるものが発令され、津波予想が6
mなどと表示されています。
津波のイメージをきちんと持っていないので、何となく実感がわかないままテレビを見ていま
した。
そうしていると、港からどんどん海水があふれ出す姿がリアルタイムで映し出されます。
「今そこに車が走っていたのに!」
「あの車は巻きこまれてしまったろうな!」
てなことを言いつつテレビに釘づけです。
日がたつにつれ、津波被害の惨状が明らかになり、万単位の死者・行方不明者になるという
予想に、暗澹たる気持ちになります。
原発の問題も深刻です。
起こっていることがよく見えません。
手の施しようがなくなった最悪の状況時に、どういうことが起こるのか誰も説明してくれませ
んので、覚悟の決めようがありません。
この世に「完全」などというものはありません。
「完全な対策」なぞは存在しません。
従って、「絶対安全な原発」なんてあり得ません。
もともと原発とは大変危険なものなのです。
それから、「全くの善人」なんぞも存在しません。
仏教の世界では、人はみな「悪人」であるとされています。
(いわゆる一般的な「悪人」とは、少々「悪人」の意味あいが違ってはいますが。)
仏様以外はみな「悪人」であり、大なり小なり煩悩を持っています。
よく
「「性善説」に基づいて・・・」
という言葉を耳にします。
京都大学のカンニング事件の時も、学校側からそんな発言がありました。
しかし「性善説」なんてーのは一種の幻想であって、期待はしても現実にはあり得ないことだ
と認識する必要があります。
完全ではないもの、完善ではないものに対してどう向かい合うかが重要です。
それがいわゆる「危機管理」なのです。
危機管理というのは、「ポテンシャル」の管理です。
「危険であるポテンシャル」や「悪心の芽生えるポテンシャル」をいかに小さく抑えるかを追求
することです。
「車の中にバッグを置いておかない。」
というのは「出来心」を起こさせない(ポテンシャルを抑える)対策の事例です。
カンニング事件ではそのカンニングを行った学生が悪いことは確かですが、カンニングしよう
という「出来心」を起こさせないようにすることが、ポテンシャル管理なのです。
大学は決して被害者ではありません。
「出来心」を起こさせてしまった罪は大きいと思います。
原発の問題にしても、あまりにもポテンシャル管理がお粗末だったのではないでしょうか。
東京電力は
「想定外の規模の地震や津波が起こってしまった。」
と言いますが、想定内のことだけに対処するのは、きちんとした危機管理とは言えません。
想定外のことが起こっても、二の矢、三の矢を考え用意しておくのが危機管理です。
「発電所で電気が使えなくて大事故になってしまった。」
シャレにもなりません。
|