このところ気になったので一言。
最近は葬儀の形態もいろいろ簡略化されてきています。
家族葬だの直葬だの。
テレビのコマーシャルなどでよく言われています。
「亡くなって迷惑をかけないように・・・。」
あるお坊さんが言われました。
「亡くなった人を丁重にお送りすることが迷惑なんでしょうか。」
「亡くなった時迷惑をかけると言いますが、それ以前は迷惑をかけてないんですかねー。」
「人生の最後に1回迷惑をかけたっていいのではないですか?」
家族葬というのは定義がどうもよくわかりません。
「積極的に案内をしないで、ごく小人数になるようにするが、来られた方は断らない。」
というのから
「ごくごく身内だけが参加するだけで、それ以外の参列者は入場をお断りする。」
というのまでやり方はいろいろ。
まあそれぞれの都合でやっているんだと思いますが。
参列を断ったり、香典を断ったり・・・ですが、香典というのはいったい誰のために持って行く
ものなんでしょう。
「そりゃ喪主とか当家のために持って行くのさ。」
という意見が大方かもしれませんが、仏教儀式としての葬儀の中では
「仏さまにお供えするもの。」
というとらえ方です。
葬儀が終わってから、仏さまからの「お下がり」として喪主や当家がいただくことにはなります
から、結果として喪主や当家のために持って行ったことになりますが、意味合いがまったく違
います。
したがって、喪主や当家が「葬儀への参列や香典を断る」というのは、「仏さまをさしおいて」
ということになり、まことにもって「不遜な行為」ということになります。
香典に限らず、お供えや供花なども同じです。
法事の時のご仏前やお供え、それにいわゆる引き出物についても同じです。
仏教儀式の中ではすべてのものが「仏さまへのお供え」なのです。
そしてあとから「仏さまからのお下がり」として我々が受け取るものなのです。
仏教儀式の中で「お斎(おとき)」というのがあります。
葬儀の前に振る舞われる食事、法事のあとで振る舞われる食事、お寺の行事の際に振る舞
われる食事・・・。これらはみな「お斎」です。
特に法事のあとの会食は意味合いを間違って解釈されがちですが、「宴会」でも「懇親会」で
も「ご苦労さん会」でもなく「お斎」なのです。
「お斎」はみな「仏さまからのお下がり」であって、ありがたくいただくものです。
よく遠慮して「私は結構です。」と断る人がいますが、仏さまからいただくものを断ることも遠
慮することもありません。積極的にありがたくいただきたいものです。
それから、葬儀などを通して「縁」というのも大切にしたいものです。
「因縁」という、仏教における基本的な言葉があります。
「因縁」とは、どんなものも単独でなりたっているものはないということです。
それは「因」と「縁」によって成り立っているということです。
そして原因があって結果になることを「因果」または「因縁果」というのです。
花が咲くということは、種がなかったら咲きません。
種は花が咲く「因」になります。
しかし、種のままでは花が咲きません。
根をはる土が必要です。
土には肥料などの養分が必要です。
さらに、水や二酸化炭素、適度な温度、太陽の光、ときには育てる人の手も必要です。
それらの花が咲くための間接的な原因を「縁」というのです。
あらゆる条件が整ってようやく結果として花が咲くということです。
せっかくの「ご縁」の場である葬儀に「参列ご遠慮下さい」なんて、少なくとも「仏さま」は言い
ませんよ。
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